いい加減にしたほうがいい。
- 2013/11/14
もういい加減にしたほうがいい。
何のことかと言えば、文部科学省の専門家会議とやらの議論のこと。
先日、道徳を教科にする方向が示されたとの報道があったばかり。
道徳が不必要だとは言わないが、これまで数十年にわたり、道徳は教科として扱うよりも、全教育活動を通じて行うべきであるとの考えや、一律の考えの押しつけになる恐れがあることなどから、見合わせてきたことだ。
それをここにきて、一部の推進論者を中心とした会議体の議論をもって、教科化、それも次年度から、などという報道がなされている。
そして、今回は別の専門家会議で、学力テストの結果一律公表の方針が示されたとの報道が!
今日の中日新聞社説でもこの方向について強い危惧が示されているが、当然だ。
子どもや学校を競争、競争と追い込み、結果としていやおうない序列を突きつける。
言うまでもないが、日本国内、さまざまな校区があり、地域の環境もそこに住まう家庭の環境も大きく違う。
一律に点数化して比較することによって改善を促そうなどという考えは文部科学省や政治家の怠慢だ。
格差が生じるならその格差が生じる原因を突き止め、それを改善する努力をすることが役割でないのか。
子どもの内面を傷つけ、地域のすさみを呼ぶことにもつながりかねない。
愛知県の大村知事がテストの結果公表について、「公表により、何かいいことがあるのか。『平均』という子供はいない。大切なのは一人一人の個性と能力を伸ばすこと」と述べ、公表の必要性がない考えを発表した。
全く共感する。
教育現場の状況を直視せず、どうも凝り固まった一部の考えに流され、深い議論もなされず、矢継ぎ早に改革が進められていく。
このままでは、日本の教育はむちゃくちゃにされてしまう。
先日の文教科学委員会で、現場の議論を待たず政治主導の教育改革をすすめることは、現場を混乱させ、改悪でしかないこと。
そして、こうした改革が結局成果を出せず、誰も責任をとらずに検証もされていないことを指摘した。
大臣には、十分な議論を尽くし、慎重な改革を進めていくことの必要性を申し上げた。
しかし、大臣からは「自分とは考えが違う」とのことであった。
残念でならない。そして恐ろしい。
子どもたちの教育にやり直しはない。文科省も、政治家も、そのことを強く認識すべきだ。
拙速、思い込み、幅広い意見を聞こうとしない。
もういい加減にしたほうかいい。