教育現場や受験生ファーストの大学入試共通テストを。
- 2019/11/07
2020年度から始まる大学入学共通テストで活用が予定されていた民間事業者による英語試験。先日、萩生田文部科学大臣が2024年までの延期を発表した。
この民間英語試験の活用については、国会審議のなかでもたびたび取り上げられ、その導入についての慎重論が多く出ていた。私がこの問題の大きさを強く認識したのは今年の夏、友人である公立高等学校校長からの一本の電話がきっかけだ。多大な金銭的負担によって教育の機会均等が失われるのではないか、試験結果がどのように合否判定に活用されるのか、評価は公平か、実施日時や試験会場はどうなるのかなど、対象である高校2年生の間で不安の声が拡がっている、今からでも導入を見合わせるべきだという、教育現場からの切実な声であった。
以来、文部科学省など関係者と協議を続けてきた。経済格差、地域格差などの課題については文部科学省内の有識者会議でも繰り返し指摘されていたと聞く。その後、不安の声が日増しに強くなり、当事者である高校生たちからもSNS上などで多くの声が挙がっていった。国会でも、野党共同で「延期法案」を提出、萩生田大臣の「身の丈」発言も相まって、実施一辺倒で強気であった文部科学省も考えを転換した。しかし、残念ながら政府の対応は遅きに失したと言わざるを得ない。文部科学省は、試験会場を確保するなど準備をすすめてきた民間業者からの損害賠償訴訟のリスクに晒されることになるのではないか。また、導入を予定していた58.9%の大学・短大は、これから短期間で受験生の実力を測る方策を検討する必要がある。共通テストでは「読む・聞く・書く・話す」の英語の4技能を民間テストで測り、大学入試センターが「読む」100点、「聞く」100点配点とするとしていた。こうした方針に変更はないのか、変更する必要はないのかなども早急に議論すべきであろう。
英語以外にも、国語や数学で導入される予定の記述式試験にも不安の声が大きい。国語の記述式問題には、書き出しや文末など記述に関して条件を付ける小問もある。採点時のブレを少なくして、採点をしやすくするためだ。条件でガチガチに縛られた記述を自由な記述と呼ぶのだろうか。採点も複雑だ。小問3問をそれぞれ「aからd」の4段階で評価。3問の4段階評価を合わせて「AからE」の5段階に落とし込む。ある公立大学の教員がプレテストの問題を解いてみたところ、自己採点で「A」評価なのか「C」評価なのか分からなかったという。自己採点ができないならば自分の実力にあった正確な出願は不可能だ。いきおい、点数が不確かな記述式問題は避けて、他の問題で点数を上げるように学校も予備校も指導せざるを得ない。
採点の途中で、採点基準が変わってくることもありえる。50万人が受験する試験において、途中で「この記述でも正解にすべきではないか」となった時に、それまで採点した答案を再度採点し直すのだろうか。数学にしても、プレテストでみられる設問は、文字を書くという点がマークシートと異なるだけで、いわゆる「空欄補充」という形式だ。
50万人の答案を1万人が20日間で採点する。採点業務を請け負ったのはベネッセHDの子会社である「学力評価研究機構」で、落札価格は61億6千万円だ。アルバイトによる採点も行われる見込みだ。民間企業にとってはビッグビジネスだが、これだけのコストをかけて導入する意義があるのか、疑問はつきない。
これだけ大きなプロジェクトであるにもかかわらず、計画や手法がずさんなのは現場を見ずに計画を立てていることに原因があることは明白だ。英語の4要素(読む・聞く・書く・話す)の大切さにしても記述力による評価の必要性にしても理念は正しいが、実行する段になると政治的配慮や利権がからみ、さらに有識者や霞ヶ関の思い込みで制度が作られ、現場と乖離したものになっていく。
多くの受験生の人生にかかわる重要な試験である。民間の人間、現場の教員、予備校の講師、受験生、高校生などの英知を集めれば、望ましい試験を作ることはたやすいはずだ。謙虚に現場の声に耳を傾けて、一度白紙に戻し、新たに制度設計をすべきだ。そして何よりも、教育の大原則は機会均等であり、公正、公平性の確保が重要である。ましてや大学入試は今後の人生に影響する大イベントだ。大改革は必要ない。慎重のうえに慎重を期して議論し、結論を見出すべきである。