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ゆとり教育のめざしたものとは

  • 2010/01/18

 「ゆとり教育の導入」→「子どもたちの学力低下」→「ゆとり教育の見直し論争」→「授業時数の増など」
 今や一般的な認識としてなされています。
 本当にこの考えは正しいんだろうか。
 「ゆとり教育」のめざしたものが何であるのかをもう一度考えれば、答えはおのずとわかってきます。
 「ゆとり教育」とは、教える内容を減らすことではなく、幅広くすることです。机上の学習だけでなく、それぞれの学校の特色を生かしつつ、これからを生きる子どもたちにとって、より確かな力を身につけさせるための教育をめざしたものです。そのために、学習内容を柔軟に扱えるようにした、これが「ゆとり教育」です。
 「ゆとり教育」の不幸は、それ自体が「学校5日制」とリンクして「教員の休み増」とも捉えられたこと、最低限の到達目標を示した学習指導要領の位置づけが正確に伝えられなかったこと、この2点にあると思います。
 「ゆとり教育」の導入にかかわりなく、「学校5日制」も「週休2日制」も別次元の話としてすすめられてきたでしょう。
 学習指導要領の目標を超える発展的な内容は、文部科学省がわざわざ声明を出さなくても、柔軟にいつでも扱うことが可能だったのです。
 一般に学力が高いといわれる国々、例えばフィンランドなどは、日本よりも授業時数は少ないし、学習内容の取扱いも柔軟です。
 本当に日本の子どもたちの学力が低下しているのなら、その原因は、「ゆとり教育」ではなく、硬直化した制度や教育格差の拡大を放置してきた政治にあるのでは…。
 「学習内容や時間が減ったから勉強ができなくなった。じゃあ増やそう」  
 こんな短絡的な考えでいいはずがありません。学習の在り方や社会的な背景をもっと考え合わせていかなければと思います。