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仙台から石巻へ

  • 2011/05/01

29日、30日は衆院での予算審議。
この間を利用して、宮城県の被災地を訪問してきました。
仙台市東部の海岸近くは、震災当日、津波に飲み込まれる田園地帯が空撮された地域です。
海も近く、美しくのどかな田園地域であったことがわかります。
震災前は整然と立ち並んでいたであろう松の防風林、多くが津波になぎ倒され、流されています。
学校の校舎や体育館には車が何台も刺さるように止まっています。
排水路も機能しておらず、水の引いていないところには重機が入ることができず、がれきがそのままになっています。
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倒れて根がむき出しになった桜が、それでもなお美しい花をつけています。
がれきの収集が進んでいます。しかし、津波の残した汚泥が積もるこの土地が再び農地に戻るまでにどれほどの時間が必要なのでしょうか。
国が関与し、たとえば国有化するなどして、迅速かつ計画的に進めないと難しいでしょう。
仙台港近くは、大企業の工場が立ち並ぶ一大工業団地です。その多くが再開されておらず、めどさえ立ちそうもない会社も多くあります。
巨大な船舶が埠頭の岸壁上に、あるはずのないところに放置されています。
石巻の鹿妻小学校では、清元校長先生から学校再開にあたっての状況を詳しくお聞きしました。
当初2000人近い避難民を教職員だけでお世話し対応した状況、5月になった今も、市からは一人の職員も派遣されておらず、避難民の自治で運営されていることにも驚きました。
「子供の笑顔で大人が元気になった」反面、子供の心のケアの必要性も訴えてみえました。
学校は再開したものの、行政イントラは不通、コピー用紙もない。通学路の安全は確保されず、特別教室は避難所となり利用できない。
下水が修復せず、衛生面の不安を拭い去れていません。
敷地の中に、紙類などごみが山積みになっています。万が一の火災にも注意が必要です。
ただ、地域住民に懸命な姿を認められている先生方が大変頼もしくみえました。
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避難所の運営をされてみえる方からは、避難民の自立しようとする意欲が減退している状況を危惧する声が聞かれます。
すべてが受動的で、買い物の仕方さえ忘れてしまうのではないか…そんな心配をされていました。
少なくとも自分の健康管理くらいはということで、世帯ごとに医薬品などを配布し自己管理していただくことを検討しているとのことでした。
僕自身も被災地の課題を今一度整理し、党内や政府に働きかけをしていきます。
忙しい中、同行くださった宮城県連代表の今後東議員はじめ関係の皆様に心より感謝いたします。