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ODA調査の旅へ  第1章 ブータン編

  • 2013/09/29

「ODA調査に行かないか」と党からありがたいご指名をいただいた。
行き先はブータン、ミャンマー、スリランカの三カ国。正直に言って当初は参加を見合わせようと思った。
臨時国会前というだけで時期ははっきりしないし、そもそも9月上旬には、仲間の議員と教育ITをはじめとする情報通信政策のあり方について、シンガポールに視察に出かける予定もあった。労働組合の定期大会も目白押しの時期で、長期間選挙区を留守にするのも不安だ。野党議員が出張とはいえ、のんきに外遊などしている場合でもないだろう。
時期が明らかになり、9月上旬と決まる。やはり私費の視察と重なった。お断りすることにして連絡したが、もう代わりがみつからないので、参加日程を短縮してもよいから行って来いと説得される。その後、視察団内での調整で出発時期が9月上旬から9月18日へと変更になる。これならほぼすべての日程に参加できそうだ。すったもんだの末に参加を決める。
視察団は5人の参議院議員と3人の職員。団長は自民党の山谷えり子議員。他に同じく自民党の宇都隆史議員、公明党の竹谷とし子議員、みんなの党の真山勇一議員、そして僕。いろんな意味で、かなり濃いメンバーだ。
ODAすなわち政府開発援助とは、我が国が開発途上国に対して行っている経済・社会の発展や福祉の向上に役立つために行う資金・技術提供による公的資金を用いた協力のこと。徐々に削減傾向にあるが、一般会計で5000億をゆうに超える大きな施策だ。経済外交の推進にむけODAの積極的活用を,我が国と途上国の双方に裨益するものとしてすすめていく必要がある。ただ我が国の厳しい財政状況のなか、「選択と集中」によりメリハリをつけ,効率化を図ることも必要だ。現状を見て、今後のあり方についていかに戦略的・効果的な事業としていくかを報告・提言することがわれわれの役目である。
9月18日に日本を立ち、バンコクの空港近くのホテルで一泊した後、空路ブータンのパロ空港に。山岳地域にあるブータンでは2000メートルの直線滑走路がとれるのはこの場所だけだと説明を受ける。墜落するのではないかと思うほど山間を抜けて着陸することでも有名な空港だ。ブータンのDURUK航空の操縦士が機器に頼らず自力で着陸する。
ブータンではまず日本政府の支援で進められている農業機械化センターや国立種床センターなどの視察。このブータンでは「ブータン農業の父」といわれる西岡京治さんが有名だ。1964年に現JICAの農業専門家として派遣されて以来、1992年に亡くなるまでブータン農業の近代化を推し進めた人物である。前国王から「ダショー(最高に優れた人物)という名誉称号を外国人として初めて受けた。日本の道徳の教科書にも登場する偉人である。ブータンの農業は西岡さんの活動により大きく発展したが、機械化などはまだまだ途上。日本はトラクターやコンバインなどの農業機械等を供与するなどの取り組みを進めている。
その後、首都ティンプーに。トブゲー首相、キンガ上院議長らと意見交換を行う。
首相は僕よりも若い47歳。2カ月前の政権交代で新しく首相になった人物。民主化後2度の総選挙が行われたブータンだが、2度目の選挙で政権党が交代している。
僕から首相に対しては、ブータンへのODAは成功事例としてとらえているものの、エネルギーや教育問題など課題もまだまだ大きい。また教育格差や若者の就労などの問題も表出しつつある。解決の道筋をどう優先順位づけしていくかが課題であるとの意見を申し上げた。
キンガ上院議長は、40歳。京都大学の大学院を修了した親日派だ。日本語も堪能でODAについても精通している。この日の夜には、議長の招待で夕食会が開かれた。日本でいうキャンプファイアーのようにたき火を囲みながら歌い踊る。この日はいわゆる中秋の名月。
山谷団長の誕生日ということもあって、とても良い雰囲気での会となった。それにしてもあまり明かりがないせいか、名月がやたらと明るくて青かった。
翌日は小学校や、王立環境保護協会などを視察した後、王宮へ。
ジグミ・ケサル国王陛下に謁見した。2011年に王妃と訪日。国会での演説や福島などの被災地訪問の様子が盛んに報道され、多くの日本人がご存知の国王陛下である。大学在学中に「日本・ブータン教会」を自ら設立された親日家である。
陛下からはブータンの教育政策、国民総幸福量(GNH)の考え方、日本に対する印象やODAのもたらす効果などについてお話しいただいた。不肖私からは、2011年の国会スピーチに感激したこと、陛下の飾らない人柄や現代的な国造りの考えに共感したことを申し上げ、今後は人材育成の観点からさらにODAのあり方について議論する必要があることなどを申し上げた。
会談時間は実に1時間25分。どうやらこれまでで最長らしい。民族衣装の中には携帯電話を忍ばせ、フェイスブックやツイッターを駆使し、バスケを愛する若き国王陛下。最後はツーショットの写真を撮っていただき、翌日には切手シートに加工して届けてくださった。貴重な経験をいただいた。
他にも、財務大臣、農業森林大臣、地元邦人との意見交換などなど多くの日程をこなし、翌日に空路バンコクへ。バンコク行きのDURUK航空の機内は物々しい警戒ぶり。バンコクへ向かう国王陛下と同乗したのもよい思い出だ。
さて、ブータン。外貨獲得は水力発電に頼る国。第11次5か年計画を設定し、経済を中心とした発展を目指すが、方向性が正しいのかどうかはわからない。
豊かな農業国であり、すばらしい環境が残る国。しかし、民主化以降急速に国の様子が変容しているとも聞く。できれば古きよきかつての日本の面影を残し続けてほしいと願うのはわがままでしかないのだろうか。農業立国などの方向性もあるのではないか。もう少しウオッチを続ける必要がある。いずれにしても魅力的な国だ。
                                    (つづく)
(筆者の記憶を頼りに執筆しています。真実と微妙に異なる場合もあるかもしれません。また視察のすべてを書くことはできていません。正確には後日出る報告書等を参照ください。)