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ODA調査の旅へ 第2章 ミャンマー編

  • 2013/10/05

ODA調査の旅へ       第2章  ミャンマー編
(前号よりつづく)
ブータンからバンコク経由で空路ミャンマーのヤンゴンへ。ヤンゴン市内のホテルに着いたのが23時近く。迎えに来てくれた大使館の方には申し訳ない限りだ。
ミャンマーはある意味で今最も熱い視線を浴びる国。資源分野を中心に外国投資が急増中。日本企業も多くが進出をもくろむ。2011年に軍政から民政移管。諸外国も経済制裁等を緩和し今に至っている。
安倍総理が今年5月にミャンマーを訪問。国民の生活向上、人材育成、インフラ整備などを目的に、910億円の支援を表明。また5000億円以上にのぼる延滞債務解消いわゆる借金帳消しを実施したところでもある。
さて、翌日は早朝から日本人墓地にお参りにでかけた後、社会福祉行政官育成プロジェクト(手話プロジェクト)を視察。日本人スタッフが中心となって、ミャンマー独自の手話の策定や普及を進めている。それにしても障害を持った方への対策の遅れには驚くが、国の状況を考えるといたしかたない面もある。
昼には日本のNGO関係者の皆さんと懇談。医療、災害対策、子どもへの支援活動など、これほどまで多く、日本からの支援の手が差し伸べられていることに驚く。長年支援活動を行っている医師の一人が「日本なら助けられる命が目の前で消えていく。すべての価値観が変わった」と話されていたことが印象的だ。
午後は、円借款ですすめるティラワ地区の開発計画の概要説明と予定地の視察。ヤンゴン市内から予定地までの交通アクセスや、電力供給などに不安を感じたのも事実。そもそも天然ガスの産出国であるはずの同国が深刻なエネルギー不足であるのも不思議だが、産出したガスが長期間分すでに中国などに売却済みであるのがその理由。自国の資源を使えないとは…。
夜はJICAの専門家や日本企業の関係者との懇談会。このあたりから体調に異変!
部屋に戻ったところで、強烈な腹痛に襲われる。本当に強烈な腹痛。日本から持参した胃腸薬などを内服するが、まったく効果なし。まさに一晩中のたうちまわる有様。日本なら救急病院まちがいないが、ここでは無理。結局朝まで一睡もできず。
朝になって痛みがおさまるが、違和感は変わらず。今日は一日休んでホテルにいたほうがいいかと悩んだが、同国の大統領に直接会うなど大切な案件がある。不安を感じながら出かけることにする。
今思うとこの日同行していただいた沼田大使がまさに救いの神であった。
ぼくの不調を聞くと、わざわざ大使公邸に戻り、抗生物質や胃腸薬など薬をとってきていただいた。ありがたく頂戴したが、この日なんとか一日活動できたのもこのおかげであったと思っている。
ヤンゴンから空路首都ネーピードーヘ。まずは国会議事堂へ出向く。議事堂を見て本当に驚いた。日本の国会議事堂の一体何倍の広さがあるのだろう。本会議場の広大さにも驚く。
こんな立派な建物をつくるくらいなら…と思うのは僕だけではないだろう。
その後、大統領府に移動し、テイン・セイン大統領と会談に臨む。
日本のODAに対する丁重なる礼と、さらなる援助の必要性について強く訴えられた。僕からは、教育分野での格差是正の取り組みの必要性や望ましい日本の協力のあり方などについて話したが、ひとつひとつの問いかけに丁寧に答える大統領の姿が印象的であった。
昼食は実に美味そうな中華料理だったが、軽くお粥をいただいたのみ。
その後、教育副大臣、鉄道大臣などと会談を重ね、ミャンマーの現状について学習を深める。
飛行機までの時間を利用して、有名な?片道12車線の道路も視察。軍施設に近いこともあり、滑走路としての機能があるのかもしれない。
その後空路再びヤンゴンへ。皆さんとミャンマー料理を食べに行ったが当然のごとくほとんど食べることはできず。それでもなんとか一日耐えきった。よかった。ホテルに帰って一安心。前日ほぼ徹夜状態であったため、この日は爆睡。
翌朝は、雨の音で目が覚める。カーテンを開けると恐ろしいほどの大雨。この日は道路も冠水し大渋滞。予定を少し早めての出発。そういえばどこに行っても日本車ばかり。ほとんどが中古車だ。日本の車庫証明やロゴがそのままになっている。日本車であることの証明にあえて残しているようだ。多分名古屋の元市バスにも遭遇した。
この日はまず、日本の支援でつくられた新ヤンゴン総合病院の視察。現地では日本病院と呼ばれている。日本から送られたかなり古い機器が未だ現役かと思えば、比較的新しい機器が故障で稼働していなかったりする。この病院では基本的に食事の世話がされない。入院患者の食事の世話は家族がするため、院内にやたらと人が多い。中には患者のベットで2人が並んで寝ていたりする。衛生面で課題はあるもののヤンゴンの皆さんにとってはなくてはならない施設である。医療支援は重要だが機器の援助だけでは一時的なものでしかない。やはり人材の育成に力を注ぐべきだろう。
その後、日本人材開発センターを視察。昼には少数民族代表国会議員団との懇談。ミャンマー政治の生の姿にふれる思いがした。今はややもすると十分な利益・権益が与えられていない少数民族。日本からの支援を政府を通さずに直接送ってほしいとの声もあったが本音だろう。
お昼は大使公邸で久々の日本食をいただいた。久しぶりに少しだけ食事を堪能。ありがたかった。
その後、空港に向かい、ヤンゴンからバンコクへ。乗り継いでその日のうちにスリランカへ向かう。
さて、ミャンマー。日本のODAのある意味中心的な対象国であるが、政治状況、インフラの状況などはまだまだ課題が多く、投資先としての適性ははかりかねる。
しかし、6000万人を超える人口と活気などをみると、高度成長前の日本の様相なのかもしれない。軍政からの真の脱却と民主化を判断するには、次回の総選挙の結果を見る必要があるだろう。
(つづく)
(記憶をもとに、斎藤自身が個人的な見解を交えて執筆をしています。印象的な出来事のみ記載しているため、実際の視察内容のすべてを網羅したものではありません。正確には参議院からの報告書を参照してください)