直球ど真ん中

TOP >  直球ど真ん中 >  川崎の事件に思う。

川崎の事件に思う。

  • 2015/03/04

川崎で起きた少年らによる中学校1年生の殺害事件。被害者の少年のご冥福を心から祈ります。
事件の詳細が伝えられるにつれ、凄惨な状況に心が痛みます。
大人が想像もできない子どもたちの闇の世界は確かにあります。
暴力による支配がはびこる地域は確かにあります。
僕自身も教員時代にそうした状況を幾度も垣間見ました。軽々しく言葉にできない秩序があり、苦しむ子どもたちが存在したことも事実です。
暴力による支配からなぜ逃げられないのか。そうした疑問を持つ方も多いのでしょう。
しかしそれは簡単なことではありません。恐怖が行動を制することはままあることです。
大人の社会でも同様であると思います。反社会的組織がいまだ勢力を保ち、存在することをみれば明らかです。
こうした状況に陥った子どもたちを救い出すことは困難なことですが、不可能ではありません。
今回の事件でも、手をさしのべる幾度かのタイミングがあったと思います。報道通りであれば、まずは夏休みころ、被害者が部活動を休みがちになったときです。部活動が大変好きな子どもであったと聞きます。その部活動を休むのにはそれなりの理由があったはずです。
そして、不登校と言えないまでも学校を休みがちになったころがあったのではないでしょうか。生活が大きく変わった時期があるはずです。このときであれば対応も間にあったかもしれません。
年明けに全く登校をしなくなったときも、毎日のように家庭訪問をすべきでした。必ずしも担任教師である必要はありません。校内で意思疎通を図り、チームとして対応すべき状況でした。どこかで事態の深刻さに気づくことができた可能性はあります。
不登校の子どもの家庭に教師はなかなか立ち入ることはできません。僕もかつて不登校の子どもを登校させようと努力を続けたことがあります。夜間も休日も家庭を訪問しました。前年から不登校状態が続く子どもの担任になったとき、子どもと人間関係を作ることが第一と休日に釣りに連れ出したり、食事をともにしたこともあります。
今の時代、そうした活動も難しい。そこまで関わることに現在の学校教育は慎重です。それは常に説明が求められ、責任が深まる教師にとって仕方のないことです。
スクールソーシャルワーカーの力を借りるという選択肢はあったと思います。彼らであれば、家庭での状況に立ち入ることは可能でした。しかし、学校が家庭と綿密に連携をとれない状況のなか、その活用をためらったとしても責めることはできません。
この事件を受けて、だから道徳教育が必要なのだなどという矮小化した議論が横行しないことを望みます。そんなことで解決する問題ではありません。特に政治家とメディアにはことの本質に迫る議論を望みます。
日本社会全体が事件の背景にあります。学校や家庭を個別に責めても何も解決しません。子どもの貧困、地域格差、落ちこぼれの問題…。子どもは大人の鏡であることを強く認識し、皆が当事者意識をもつことが大切です。