「税」と「年貢」と「納め時」
- 2011/02/27
地元の前市会議員さんの事務所開きに行ってきました。
事務所のはす向かいには減税を掲げた地域政党の候補予定者の事務所が。
「減税」か。流行り言葉のようになっているが、今、本当に「減税」でいいのか。トリプル選挙を経ても釈然としませんね。
そもそも税って何なのでしょう。
僕は、税とは人と人の支え合いの基であり、公共サービスを受けるために国民が支払う対価だと思っています。
所得再分配の意味合いが大きく、所得の多い方からは高い税を、所得の低い方からは少ない税を集め、どちらの方々にも公平な福祉などのサービスを受けてもらう、そのためのものだとも考えています。
それはたぶん間違いではないでしょう。
こうした基本的な考えに立てば、一律の減税は、再分配の機能を薄め、格差拡大につながってしまうのではないか。
もちろん、減税によって行政のスリム化は一定図られるのでしょう。しかし、公的なサービスが軽減しては、それこそ、「自分のことは自分で責任を持て」的な社会となっていくのではないでしょうか。「50人の金持ち減税より庶民100人の安心サービス」こそ市民ニーズであると考えます。
減税を訴える皆さんの考えをこうした観点からお聞きしてみたいと思います。機会があれば街頭などで一度耳を傾けてみます。
かつて、支配層が被支配層に課す「年貢」という制度がありましたね。被支配層は払うばかりで受け取る対価がない。したがって、こんなのかなわんと必死に納めることを逃れようとしたのでしょう。最終的に泣く泣く納める年貢…こうした状況から「年貢の納め時」なんていう言葉も生まれたのかもしれません。
税は、庶民が公務員や政治家のために払う年貢ではありません。
みんなが納得して「税の納め時」を迎えるよう、税の仕組みを考えていくことは必要です。しかし、税も年貢もごちゃまぜにしたような間違った議論はそろそろ「納め時」にすべきだと思います。