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アメリカ渡航記 その1  Sep.2018

  • 2018/09/25

~米国における教育現場でのICT利活用事情視察 Sep.2018~

 

9月15日土曜日 東京からシアトルに向け出発。10時間ほどのフライトでタコマ空港に到着。夕刻にシアトル総領事館に出向き、山田洋一郎総領事らとシアトル及び米国の経済状況等について懇談した。シアトルへは2年越しの念願叶っての渡航だ。知ってのように、ここシアトルは、ボーイング、マイクロソフト、アマゾン、コストコ、スターバックスなど名だたる企業発祥の地である。この街でこれらの世界的企業がどのように生まれ、その背景はどうであったのか、そして教育とどのような関わりがあったのか、その一端を垣間見たいと常々思っていた。

愛知県とも関係が深い。MRJの試験飛行もモーゼスレイクを拠点に行われているし、愛知の生んだスーパースター、イチローが今も所属するのがシアトル・マリナーズだ。そもそもシアトルのあるワシントン州に最も早く足を踏み入れた日本人は、愛知県美浜町の漁民であった三吉らである。ちなみに美浜町は私の故郷でもある。なおのこと親しみがわく。

築100年以上という領事館の趣あるたたずまいと、湖畔を見下ろす夜景を堪能しつつ、1日目が終了した。

 

2日目はシアトル郊外にあるボーイング社を視察した。とにかくでかい。世界最大の工場だ。航空機を搬出入する入り口の扉の一枚はサッカーコートよりも大きい。圧倒される。ちなみにボーイングという社名は創業者の名字だ。もともとは郵便配達を目的にできた会社だと説明を受けた。飛行機の組立行程にはトヨタのカンバン方式が導入され、効率化が図られているとも聞いた。みるだけではどこがそうなのかはよくわからない。いずれにしてもこの老舗大企業がシアトルに研究者や労働者、若者を集め、その後の様々な企業の創業につながったのは間違いないだろう。

午後はホテルに一度戻りダウンタウンに出かけることにした。その前にショッピングモールへ。実は日本とは全く気候が違い、昨日今日と震えるほど寒い。多分夕刻の気温は10度くらいだろう。ところがうっかり薄手の服しか用意していない。ホテル近くのモールにマリナーズストアがあったので上着を買い込んだ。ホテルのあるベルビューからシアトルの中心部までウーバーで出かける。スペースニードルとダウンタウンのマーケットを見て回り、スターバックス1号店に入ろうと思ったがすごい待ちの行列であきらめた。ベルビューに帰り、夕食はホテル近くのシーフード。福島から来ている造り酒屋のご家族と一緒になり、被災後の苦労話をお聞きした。疲れていたのと時差ぼけで酔いが回った。

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3日目は早朝8時にホテルを出発。米国マイクロソフト本社を訪問した。午前中に同社の方々のプレゼンを受け、意見交換を行った。

人工知能の進展、2年後までに85パーセントの企業がAIを活用、新たな仕事が次々と創出されるなか、子どもたちに学校教育が現在行っている教育から得る知識や技能の5割は、彼らが就職するときには役に立たない。生涯にわたり学ぶ環境づくりと、STEAM教育(サイエンス、テクノロジー エンジニアリング、アート、マスの5領域)の重視を強く述べていた。また、ICT教育の進展のために最も必要な要素は教員のスキルであり、そのための教員研修の担い手としての当社の優位性を説かれていた。

昼には同社でランチをごちそうになったが、ケータリングの日本食でこれがまた美味かった。当然のように社員の食事や飲み物はすべて無料で提供されている。社内のあちらこちらに机やいすがあり、みんな気ままに好きなところにパソコンを持ち込んで仕事している。日本の会社の風景とは全く相容れない。

マイクロソフト社を後にして、午後は地元の私立学校レントン・プレップ校へお邪魔した。

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幼児から日本で言う中学3年生までが学ぶ学校で、校舎は元の市庁を借り受けている。公による金銭支援はゼロの私立校だ。聞くと予算の多くを寄付金が占める。授業料よりも寄付金が多く、寄付金によって財団の運営をしており、その果実で授業の負担軽減を子なっている。運営規模は300万ドルだ。そのため低所得世帯の子どもたちも多く通っている。町の住民投票ですべての子どもにラップトップを支給する目的税が導入された。固定資産税に上乗せされている。教科書はほぼないと言っていい。日本の指導要領にあたるコモンコアはあるにはあるが、学習内容の選定や展開は学校や教員に任されている。マイクロソフトのマインクラフトが授業で活用されている。

学校側の希望で日本の学校教育について子どもたちにレクチャーをしてほしいとのことだったので、日本から写真データなどを持ち込み、子どもたちに示しながら話をした。特に給食や掃除、集団登校、部活動などに興味深げだった。というよりも信じられないという顔つきだ。あとで日本の学校で学びたいか聞いたところ、全員の答えがノーだった。

夕刻に学校を出てホテルに戻った。夕食は近くの中華に。青椒肉絲が食べたかったがない。それにしてもアメリカの食事は値段が高い。日本なら500円玉で夕食を済ますことも可能だがこの国ではそうはいかない。食後に近くにスーパーに出向いて土産物を探す。ちょっと体調が悪くおなかが痛い。ホテルに戻り薬を飲んであっという間に眠りに落ちる。